線香花火のように | INDIGO DREAMING

線香花火のように

私は花火の中で線香花火が一番好き。
理由は様々な人生の縮図を見ているような気がするから。

今週、朝の通勤電車の中で瞑想していたら
「あっ そうなんだ」ってあることに気がついた。

私は20代後半の時、燃え尽き症候群になり
心身ともにぼろぼろになって
東京での激務生活にピリオドを打った。

またいつか、ほとばしるようなエネルギーが湧いて来て
活発に動きまわる日が来ると信じていた。

でも、あれから10年の月日が経っても完全に元には戻らない。
いうことを聞かない体を、気力で補うことが出来ないのだ。
それがもどかしく、不満でもある。


私の人生は目立たない小さな火花から始まった。

10代後半から20代後半は
火薬のたくさんつまった線香花火の太い部分で
大きな火花を散らしていた。


そう

紅く光る私の火薬玉は分不相応に大きくなって
勢い良く火花を散らしすぎて・・・


ちょっと微風が吹いた瞬間に・・・


大きな火の玉をぼてっと落としてしまったのだ!


どんなにそれを嘆いてみても
地面に落ちた火の玉を元に戻すことは出来ない。

残された火薬の量で人生を全うするしかないわけだ。

人生のキャンバスに
もう大きな火花をスパークさせることはできない。

だけど
ダイナミックさを失った分
危なっかしさもなくなった。

繊細で可憐な「柳」や「散り菊」を描くことはまだ出来る。

無理しなくてもいい。
周りの「松葉」を見てうらやむのではなく
自分の「散り菊」を愛(め)でようではないか。

大槻 ケンヂ
花火