INDIGO DREAMING -19ページ目

お下がり人生どこまでも

長女の私は今までお下がりとはあまり縁がなかったのだが、末っ子の彼と結婚してからはお下がり人生まっしぐらである。

彼のこだわりと貧乏のせいで家具がないことは以前書いたが、
うちにあるものをざっと見渡してみたら、お下がりグッズの多いのに改めて気がついた。

一番の調達元はケビン・コスナー似のお義兄さんちから。
ここのお嫁さんはとにかく流行好き、きれい好き。
愛読書は「Vogue Living」
おうちのインテリアも「Vogue Living」そのまま。
家が汚れるのが嫌であまり客は招びたくないらしいのだが、それでもたまに寄るたびにインテリアが変わっている。
家具の回転速度も早い。

8年前に日本から引っ越して来た時、ここのうちからは冷蔵庫、洗濯機、掃除機などのお古をもらった。
うちではまだそれらを大切に使っているのに、ケビン義兄のうちではこの間も冷蔵庫を新調していた。
クラッシュアイスの製氷ポケットがついてるアルミ製のやつ。

(うちのより新しい)彼らの古い冷蔵庫はうちに来てくれないのだろうか?

と思ったのだが下取りに出してしまったらしい。

他にもTV台、サイドテーブル、椅子、各種収納棚など

ケビン義兄宅のいろんな粗大ゴミがうちに居座っている。
(残念ながらうちに来るのは行き場がない粗大ゴミだけで下取りしてもらえるような良品はあまり来ない)


ちなみに私の夫、東京にいた時は家電はほとんど粗大ゴミから調達していたようだ。

「日本人はまだ使えるものをこんなに捨てるなんて信じられない!」
とよく言っていた。

私はこの国に来て、日本じゃまず売れないような中古品が高くて驚いた。



二番目のお下がり調達元は義父母の家から。

ここの家からは彼のおばあちゃんが使っていた化粧台がきた。
おじいちゃんが彼女のために作ったものだそうだ。

私が要らなかったら捨てるということだったのでもらっておいた。
といっても化粧品をほとんど持っていない私は引き出しにパンツを入れて使ってる。

その他には、とってもババァ趣味のベッドリネンとか、ミシンとか、ゴルフセットなどのお下がりが来た。


彼の家族の中では、何かものを捨てる時には、我が家を中継地点にするという暗黙の了解ができているようだ。

(義姉の家は除く。ご主人がケチケチ、いや、モノを大切にするオランダ人。


そして、3番目の調達先は新聞の「売ります、買います」コーナー。
食卓やソファなどはここから来た。


いつか彼のこだわりの一品が買える日がやってくるまでの一時的なことだよって思ってみるけど

そんな日は100年経っても来ないだろうな~。


著者: 佐野 眞一
タイトル: 日本のゴミ―豊かさの中でモノたちは

結婚記念日のプレゼントは・・・

昨日、仕事から帰って来たら、駅まで車で迎えに来た彼が散髪してすっきりしていた。

はは~、どうりで「今日は仕事遅くなるから」って電話した時に

「Happy Anniversary!」

なんて嬉しそうに言ってたと思った。



「ねぇねぇ、今日散髪して来た時に、ヘアサロンの隣のお気に入りのチョコレート屋さんでチョコ買ってきたでしょう? 

結婚記念日のプレゼントっていって自分がチョコ食べるいい理由が出来て喜んでない?」



たじろぐ彼。でもこの人、私と同じでウソはつけないからすぐわかる。


「なんで君はそうやって僕の楽しみをぶち壊すんだよ~? もう離婚しようか? お互いのことわかりすぎちゃって面白くないよ。」



やっぱり図星だ。



10年も一緒にいたらそりゃあ、チョコホリックのこの人の行動パターンはすぐ読めるよ。


家に着いたら彼がカードとチョコレートをくれた。
バレンタインデーには私があげただけだったから1日遅れのホワイトデーみたいなもんだね。


夕食後に二人で分けて食べた。


著者: しょうの かずみ
タイトル: 夫婦―いとしい時間

結婚の日取り決め

今日が、実は私たちの結婚記念日である。
正式に籍を入れて9年。その前の同棲期間を入れたらもう10年になった。
光陰矢の如し。

籍を入れる日は祖母の一周忌が終わった後の最初の吉日と決めた。
(結婚までの紆余曲折は結婚までの道のり を下から順にどうぞ。)

私は実はババっ子だったので祖母には特に敬意を払いたかったのだ。

祖母が亡くなってまもなく、彼と交際を始めた頃の私の心身状態はひどかった。
健康を害し、仕事の挫折や前の失恋からも完全に立ち直っておらず抜け殻のようだった。
いわゆる「もえつき症候群」ってやつ。


そんな不安定な時期、街をぶらぶら歩いていてふっと魔が差した。
「死にたいな」って気持ちが脳裏をよぎったのだ。

その瞬間、祖母の怒り狂った顔が突然目の前に浮かんで来てたじろいだ。
いつも優しい顔をしていた祖母の、今までに一度も見たことのない、ものすごいこわい形相に愕然とした。


「おばあちゃん、ごめん。もう死ぬなんてぜったい思わないから。本当にごめん。」
と心の中でつぶやいた。

実はこの話を家族にしたら、妹が「私も同じ経験したさ~」と言った。
どうも私たち姉妹は自殺願望はあっても実際に自殺することはまずなさそうだ。

結婚記念日が近づくと祖母を思い出す。

私より後に結婚した従兄弟はずばり、祖母の命日に結婚した。

これで祖母の命日も忘れない。
いいアイディアだと思うが、うちの家って単にものぐさか忘れっぽいか超合理的なだけなのかも・・・・。

誰かの命日に結婚した人、他にもいたら教えて下さい。


著者: NoData
タイトル: 大安吉日カレンダー 2005

袴の似合う男のわがまま

結婚式をしないというのなら仕方ないけど、思い出になるものはあった方がいいから記念写真だけは撮っておきなさいという母の願いで家族そろって写真館に行くことにした。

彼の羽織袴姿を見てみるのも悪くない。
私も国際カップルの結婚式などで外国人の羽織袴姿を見て来たが、意外にも皆けっこう似合っていた。

さて彼の場合はどうかな?

家族全員見て驚いた。

似合いすぎ

彼は短足だし、日本人に似た体型。
武道をやっていたせいもあって体の重心が低いのだ。

青い目はしているが明治男の気概を感じる。
(単に頑固さがほとばしっているだけか?)

ところで私は白無垢を着なかった。
彼の趣味に合わなかったからだ。

豪華絢爛な鶴とか亀とかの金襴緞子も彼の美意識とはほど遠かった。

普通の着物がいいと言い張る彼。
写真館にある着物をあれやこれや引っ張りだすがどれも彼のお眼鏡にとまらない。

業を煮やした母親が私の妹の振り袖を試してみるかと聞く。

成人式の時に着物を買ってやれなかったお詫びに最近買ったものだという。
うちでは私の分と年子の妹の分と2年続けて着物を買う余裕がなかったので、妹は成人式の時に私のお古を着なければならなかった。

その時の穴埋めの振り袖、妹がまだ一度も人前で袖を通していない辻が花を、彼が一目見て気に入ってしまった・・・。

こうして、私のかわりに妹が着物をレンタルするハメになったのである。

可哀相に・・・長女はいつまでもいいとこ取りで、次女はいつもお下がりなのだ・・・

妹よ、ごめん。

ぜんぶ、お義兄ちゃんのわがままのせいなんだよ。

でもね、姉ちゃんは末っ子と結婚して、今になって思う存分お下がり人生を味わっているからね。


著者: 原田 紀子
タイトル: 聞き書き 着物と日本人―つくる技、着る技

スーツ嫌いの男

「ねぇ、結婚披露パーティーで僕、スーツ着なくてもいいよね?
今までに一度も着たことがないんだ」

35過ぎてスーツ今までに一度も着たことないって、この人・・・・・
どんな人生送って来たんだ?
オフィス勤めを一度も経験したことのない男。幸せなやつだ。

「そんなにイヤだったらスーツじゃなくてもいいけど、きちんとしたジャケットとネクタイぐらいはしてよね。
誰が主役かわかんなくなるじゃない。」

「えっ、ネクタイしなきゃだめ? ネクタイも今まで一度もしたことないんだけど・・・」

あちゃ~

「この際、ネクタイくらい一本買っておきなさいよ。急に必要になった時に困るでしょうが~。」

そうやってよそゆきのジャケット一着とネクタイ一本を買ってやった。

披露パーティをやらなかったらネクタイしない暦を更新していたことだろう。

それから、5年、6年と経過し、ちょっと改まった席でもその時に買ったよそゆきのジャケット一着でなんとか間に合わせて来た。

ところがやっぱりスーツを着る機会はやってくるのだ。
私の仕事の関係でフォーマル・ディナーに夫婦同伴で招待されることもある。

フォーマルな席になるべく出たくない彼にとって、「着ていくものがない」というのはとっても便利な言い訳である。

「ねぇ、ほらこの晩餐会、フルコースのタダ飯だよ。タダ飯!! 会社があんたの分まで出してくれるんだよ。ねっ、スーツ買って行こうよ。」

「ぼくは興味ない。堅苦しいところに行きたくないんだよ。だいたいタダ飯のためにスーツ買うなんて本末転倒だよ」

こうやって彼は何度フォーマルの席に顔を出すのを避けて来たことか・・・

着るものがないのを言い訳にされるのはもうたくさん!っということで、セールの時期に彼をデパートに強制連行してスーツを買う決意をする。

彼を降参させた最後の決め手の言葉は。。。


父の葬式に備えて。

病床についていた私の父はいつ逝ってもおかしくない状況だったので、これには彼も反撃の余地がなかった。


多分2年に1回くらいしか着る機会がないだろうから、長く使える質のいいものを買ってやらなければ・・・
そうは思っても私もスーツのことなど皆目わからない。

ちょっと恥ずかしいがデパートの紳士服売り場でこう聞いてみる。

「あの~、20年経っても流行遅れにならないようなオーソドックスなデザインで葬式でもフォーマルでもセミフォーマルの場でも浮かない色のオールマイティなスーツが欲しいんですけど・・・」

こうして純メリノ100%のかなり黒に近いが真っ黒ではないチャコールグレーのスーツを買った。
彼にとっては一生に一着のスーツとなるだろう。




その後、一年も経たずに父が逝った。

「ほらね。買っておいて良かったでしょ。」

亡父の弔辞用ネクタイを借りて葬式に出た。


著者: 橋詰 俊勝
タイトル: スーツを脱いで夕食を―サラリーマン恋の五行歌

運命の赤い糸?

ある日、友達とのおしゃべりでこっくりさんの話題が出て来た。

「こっくりさんって何?」

と彼が聞く。

「こっくりさんてね~。
二人でこうやって指でコインを押さえてね、お告げを呼ぶ遊びだよ。
やったことあるかな?」


「ああ、あるある、僕の国にも似たようなものがあるよ。
小さい頃に兄弟でやったことがあるよ。」


そこで彼がいきなり



あっっっ!!!


と叫んだ。



「どうしたの?」


「ちっちゃい時、僕の結婚相手を占ったことあったんだ。」


「へー? で、なんて出たの?」




日本人って出た・・・」



「ボードの上を J ・・A ・・P・・ A・・ N・・・ ってたどって行ったんだ・・・・  

でも、その時、僕は5才か6才で日本って国のことも聞いたことなかったし、それがどこにあるかも知らなかったんだよ。


すっかり忘れてたけど今になって急に思い出した。」




それ、ちょっと気持ちわるくないすか?




5才年上の彼のお姉ちゃんが適当に指を動かしてJAPANESEとなぞったと仮定する。

更に彼の深層心理にその言葉が深く焼きついて無意識のうちに日本に対する追慕の念が形成されて行ったと仮定してみる。


だとしても、30年後にそれが実現するとは・・・



やっぱり気持ちわる~い



こういうのって信じたくないんだけどねえ・・・

運命の赤い糸ってあるのか?



著者: ミステリーゾーン特報班
タイトル: オカルトの大疑問―神秘世界の謎がわかる本 「こっくりさん」のコインは、なぜ動くの?

エルミタージュ幻想

ソクーロフ監督の「エルミタージュ幻想」をご覧になったことがあるだろうか。
エルミタージュを舞台に展開された歴史絵巻を90分ノンストップのワンショットでとらえた映画である。

カメラワークを見るだけでも十分価値があるけれど、ロシア史上の事件や有名人物についての背景知識があれば、より味わい深い映画である。

だからといって「エルミタージュ美術館」に行ったことがあればもっと味わい深いかといえば、そうでもない。

だって舞踏会の賓客である華麗に着飾った淑女達が立ち話している場所は・・・・

暗い、汚い、臭いの三拍子で近寄りたくなかったトイレの目の前じゃん。 優雅に笑顔を振りまいてる女優さんも大変だ~」

などと余計なことを考えてしまうからだ。

さて、このエルミタージュ美術館、実は夫が専門とする日本美術のものすごいコレクションがある。

これをエサにしてわざわざ彼をサンクトペテルブルグまで引きずって行ったのだ。

サンクト大に5ドル払って彼の分まで学生証を発行してもらい、エルミタージュ美術館のフリーパスの出来上がり。

私が午前中に語学学校に通っている間、彼は毎日美術館・博物館をタダで見物する、という手はずだった。

「私って、なんてかしこいの」って悦に入っていたら大はずれ。

「日本美術コーナー」が夏期休暇中・・・・

事務所を見つけて、そこをなんとか見せてもらえないかと聞いてみる。

「このお方は、地球の反対側からわざわざこれを見に来た専門家なんです。なんとかして見せてくれませんか?」

「見せてあげたいけどカギ持ってるキュレーターが夏休み中でいないんだよ。」

とりあえず、キュレーター氏のダーチャ(別荘)の電話番号を教えてもらったまではいいが、電話に出ないんだな、これが。帰国前日まで毎日かけたのに。


エルミタージュは幻想のまま終わった・・・



タイトル: エルミタージュ幻想

彼の日本語 爆笑語録

彼のみょーなボキャブラ を書いてしまったので、ついでにみょーな日本語文法も紹介しておこうと思う。

10年間も一緒に暮らしていたら相当な数の爆笑語録にめぐりあっているのだが、あいにくノートに書き留めてなかったので強烈だったやつしか覚えていない。

しかし、語学学習者の間違いの揚げ足をとって笑い者にするのはあまり趣味の良いものではない。
特に本人の前で思いっきり爆笑しちゃったら、傷ついてやる気を失くしちゃうから気をつけないとね。

このことについては私は深~く反省している。

昔、お箸が転げ落ちるのもおかしな年頃だった頃、確かアメリカ人の英語の先生が「子牛」のことを

「うしこ」

と言った時、笑い上戸になって10分ぐらい立ち直れなかったことがある。

今思えば、たいへん申し訳ないことをした。

まあ、それからだいぶ成長した筈なのだが、やはり彼の日本語をほめて自信をつけさせて学習を励ますところまでは人間が出来ていなかった。
私があまりバカにするので、彼はもう日本語の勉強をあきらめてしまった・・・・

反省

彼はじじいになってから日本語を勉強し始めたので「丁寧ことば」しか習わなかった。

でも私と話す時くらいはちょっと男らしいことばを使ってみたかったらしい。

「俺」とか「~ゼ」とか「~ゾ」とか。

そして、ある時、挑戦してみた。



「行こうゾ!」


ごめん、やっぱり笑っちゃった。
笑うだけでなくて友達にも言いふらしちゃった。
そのあとしばらく友達同士で流行っちゃった。


またある時、彼がシャワーを浴びているとき、洗面所のドアを開けっ放しにして出て行ったことがあった。←これ、私のくせ
冷たい風が入って来て寒いので彼は私に向かって叫んだ。

「ドアを閉まってくださいませんか~。ドアを閉まってくださいませんか~」

もうすでに居間でくつろいでいて、また洗面所に戻るのがめんどくさかった私は思わず無視してしまった・・・

閉まって~・・・くださいませんか~~」(悲痛にひびく声)


ドアに頼んでもだめだよ~。


私ってやっぱりビッチーだな。


でも彼の方も日本人の奥様などから

Prease shit on the chair. (どうぞ椅子にクソしてさい)

なんて言われて陰で大爆笑してるからお互い様かな


著者: おおひなた ごう, 爆笑問題
タイトル: バクマン!


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彼の日本語ボキャブラ

彼はあまり日本語が上手とはいえない。
とりあえず私の家族と意思疎通できる程度で、レベルは中の下といったところ。

ところが、その少ない日本語語彙の中にみょーな専門用語が混じっている。
えっ、何じゃそりゃ? って感じでこっちがあせる。

彼の口から出てきてうなってしまったポキャブラ例

1 シャリメ
2 ヤシャ玉
3 過マンガン酸と重クローム酸

シャリメってなんじゃ? 私は知らなかったよ。
ヤスリの種類だそうだ。舎利目と書くらしい。

ヤシャ玉って夜叉のことじゃなくてね・・・
はんの木の実のこと。草木染めの染料として使う。

過マンガン酸と重クローム酸。
まあ、なんかの化学薬品っぽいなってことは推測できるけど・・・
こっちは化学染料と媒染として使うらしい
日本語で覚えてしまったので彼はこれを英語でなんというのか知らない
私の辞書には載ってなかった・・・

で、極めつけがショウジョウ

女の人物の作品があって「これ何?」って聞いた答えが

「ショージョー」

「えっ、少女のこと?」
(彼の発音間違いだと決め付けている)

「チガウ、ショージョー」

「まさか、処女のことか?」
(まだ発音間違いだと信じている)

「チガウ、ショージョー」

漢字で書くと「猩々」

知らなかった。そんなことばがあったなんて。

昔話に出てくる大酒飲んで寝ちゃうヤマンバの名前らしい。

皆さんはいくつ知ってました?


著者: 加納 喜光
タイトル: 知ってるようで知らない日本語辞典―目から鱗が落ちる言葉の蘊蓄

ドキュメンタリーは真実か?

日本の伝統美を追求する外国人がいるというのでテレビ局が彼のもとに取材に来た。
新婚ほやほや当時、まだ日本に住んでいた頃の話である。

ニュースの後、朝ドラの前の地域版トピックスで彼の活動と作品が放映されちゃうのだ。
たかだか6分間のドキュメンタリーといっても撮影は1日がかりである。

「作品の説明は英語でもいいですか?」
「いや、できれば日本語でお願いします」

彼は紙に書いた日本語の説明をつっかからずに言えるように何度も何度も一生懸命に練習した。
撮影当日、練習の成果なく緊張でつっかかりまくる彼。

あきらめたクルー陣
「あ~、やっぱり、英語でいいです。英語で説明して下さい。」
(早く言ってやれよ。可哀相に。)

あとは一緒に町を歩いているとシーンとか、
彼のお気に入りの寺の山門彫刻を眺めているシーンとか、
一緒にごはんを食べているシーンとか
を撮影したわけだ。

テーブルに食事を並べようとすると

「あっ、こっちのこたつの方が雰囲気が出るな。
こっちに移して座って食事してくれませんか?」

(おいおい、これはやらせとは言わないのか?)

「じゃ、カメラ回しますので、そこでちょっと和やかに雑談して下さい」

はいよ、はいよ

「じゃ、ちょっと奥様にも質問しますので」

ここで私はぱきぱきとしゃべったわけだな。
インタビューでの彼の受け答えがあまりにも(英語でさえも)自信なさそーに貧弱だったもんだから、つい彼の分まで頑張ってしまったわけだ。

若気の至りである。

彼が「今は彼女の収入で暮らしているけれど、早く自分で生計を立てられるようになりたい」
な~んて言うから

「妥協しないで後世に残るような素晴らしい作品作りに専念して欲しい」
と理解ある妻ぶりをアピールしていたのだ。

さて、放送当日。
ほがらかなBGMに乗って彼の作品が一つずつ紹介され、彼の略歴や私たちの生活の様子が映し出された。
スクリーンで私の顔がアップになる。

「いやー、彼と会うまで何も知らなかったんです。彼の方が詳しいのでいつも日本のこと教えられてます。」

あの~、この一言だけ?
これじゃあ、バカ丸出しじゃん。
あんなにいっぱい喋ったのに、ちょっとおまけに付け足したこの言葉だけわざわざ切り取って使うか?

ドキュメンタリーとはこういうものである。

編集者にはすでに作りたいイメージというものがあって、それに合う材料だけが選ばれる。
ここでは「外国人なのに日本通」というイメージが際立つ材料だけ欲しかったわけで、それ以外は全部ゴミだったのだ。

ドキュメンタリーをまるごと信じてはいけない。


余談ではあるが、あれから9年。
彼が生計を立てられるようになる気配は・・・今のところない。


著者: 草野 厚
タイトル: テレビ報道の正しい見方