INDIGO DREAMING -20ページ目

ロシア珍道中ー彼のアエロフロート初体験3

パート2よりつづく 

いよいよ目的地に近づいて来た。
サンクトペテルブルグに着陸すると乗客から拍手がわきおこった。
彼の顔にも安堵の表情が見てとれる。

空港ではこれからお世話になる家のリュドミラが迎えに来てくれていた。
しばし再会を喜び合う。

荷物を回収してさあ、いよいよ彼女の家へ・・・

と思ったらそう甘くはなかった。

いつまで経っても荷物が・・・・出てこない。。。

乗客達は自分たちの荷物を手に次々と消えて行く。

焦燥感にかられる私たち。

まさか、ここまで来てスーツケース紛失

そんなばかな・・・


とうとう全ての荷物が運び出され、
そして、誰もいなくなった・・・・

途方にくれる私たち。


ハバロフスクで盗まれたのだろうか?
それとも、ノボシビルスクから間違ってモスクワに行ってしまったのだろうか?


リュドミラも動揺を隠せない。
実はスーツケースには彼女の荷物がいっぱい詰まっていたのだ。

日本でお土産をしこたま買い込みすぎた彼女は、自分のスーツケースに納まらなかった荷物を私たちに託して一足先に帰国した。

「いいよ、いいよ。私たちが後で持って行ってあげるから」

とその時は気軽に申し出たが、まさかあんなにたくさんの量をおいていくとは思ってもいなかった。
結局、私たちのスーツケースの半分以上が彼女がディスカウントショップで買った日用品で埋め尽くされていた。
スーツケースに二人で乗っかってやっとふたを閉めたのだ。。。

それが・・・ない。。。

ここでリュドミラに機嫌を損なわれてはこれからの3週間とても肩身の狭い思いをしなければならない・・・・
困った。。。

あっっっ!!!

その時、ひらめいた。

私たちは国内線に乗って国内線ターミナルに到着した。
でも、私たちは外国人乗客・・・・

リュドミラに案内されて大急ぎで国際線ターミナルに向かう。

だだっ広い通路に私たちのスーツケースがぽつねんと置き去りにされていた。

「あった~! よかった~!」

周りには旅行者が行ったり来たりしている。
係員はどこにも見当たらない。

これ、荷物検査なしで持ち去っちゃっていいの?
荷物を監視している人は誰もいない。

つまり誰が持ち去ってもわからないってことである。
気がつくのがもうちょっと遅かったらと思うとぞっとした。

私たちは複雑な思いでスーツケースを引きずって空港を後にした。
恐るべしアエロフロート。

おわり


著者: 鎌田 慧
タイトル: 混沌と幻想の街―サンクトペテルブルグ

ロシア珍道中ー彼のアエロフロート初体験2

パート1よりつづく (10年前の話です)

さて、ハバロフスク空港でいよいよ国内線へと乗り継がなければならない。
当時燃料切れで落ちまくっていた国内線の乗り継ぎなんてロシア通か貧乏かバカでなかったら使わなかった、かなりディープなルートである。

この少し前にも日本人留学生が乗っていた国内線がシベリアで墜落していた。自分たちの乗った飛行機は果たして飛行中にガス欠を起こすのか、まさに命をかけた賭け、ロシアン・ルーレットの世界である。

とりあえず、国内線に乗り継ぐロシア人達の後をついて行く。
次の中継地はノボシビルスクだ。

新生ロシアの経済混乱でその頃の極東地方は老朽化した発電所がまともに稼働していなかった。
そのせいかどうかわからないが、このハバロフスク空港、電気が一つもついてない、
やたらと暗くて薄気味悪い幽霊ビルのようだった。

そこにたむろしている怪しげな男達
空港近辺で外国人が暴行を受けて身ぐるみはがされたという話は日常茶飯事だった。

日本から大事な取引先が出張する時などは事前にマフィアに金をつかませて護衛してもらう、という話も聞くほどだった。

彼は、どこから見ても外国人であるこの東洋女をなめまわすような男達の視線に気が気ではなかった。
そんなことはつゆ知らず、のんきな私は空港内を徘徊していたロシアン・ブルーの猫を夢中で追いかけ回していた。

ところで彼はどこから見てもロシア人。。。だったようだ。
スラブ人の血は一滴も入ってないのだが、ロシア滞在中はいつもロシア人から同国人扱いされてしまっていた。

貧乏生活が板についている彼はたぶん資本主義国人のオーラが全然でていなかったのだろう。
大事に長持ちさせた服はよれよれで、まだらな砂のような髪質はまさにスラブ男のそれだった。

外国人東洋女に雇われたロシア人ボディガードに見えていた可能性大である。

さて、乗り継ぎの時刻が来てもノボシビルスクの表示が全くでてこない。
だんだん不安になってくる。
かといって案内デスクみたいなものがないから誰にも聞きようがない。
係員は時間が来たらドアを開けて行列をさばき、行列がさばけたらドアの向こうに消えてしまうのである。

あたりを見回すとどうやらノボシビルスク行きの他のロシア人達も不安になってたようなので安心した。

定刻時間を大幅に過ぎてやっと一つのドアに待ちわびていたノボシビルスクの表示がでた。
パスポートを取り出して行列に加わる。
やっと乗り込めるかなと思ったらドアの手前で止められた。


「君の入り口はここじゃない。外国人専用の入り口は隣の建物だよ。」

国内線というからロシア人と一緒かと思ったのだが待合室は別だったのだ。

そしてその係員は後にくっついて来た彼に気がつくとこう言い放った。

「君だね、ジェーボチカ(お嬢ちゃん)を間違った場所に連れて来たのは。だめじゃないか!」

突然叱られてしまった彼は何を言われているのかわからず反射的に「ニェット」と答えていた。(ちゃんと答えになっているところがすごい ) - 本当は「僕はロシア語できません」のつもりだったのだが・・・

ちなみに彼の知っているロシア語は「ダー(はい)」と「ニェット(いいえ)」と「スパシーバ(ありがとう)」の3つだけだった。

こうして外人用の建物にたどり着き、そこからなんとかノボシビルスク行きの国内線に乗り込むことができた。
でも国内線に乗り込む外国人乗客は当然私たち二人だけ
案内もなしにこれで間違うなと言われても所詮ムリであった。

彼はもう神経を使い果たしてへとへとだ。

旅路はまだつづく


著者: 本田 良一
タイトル: 国境を行く―揺れる極東ロシア

ロシア珍道中ー彼のアエロフロート初体験1

彼と同棲していた時、タダ宿のつてがあったのでサンクトペテルブルグに行く計画を立てた。
仕事でサハリンとモスクワにしか行ったことがなかった私はぜひともサンクトペテルブルグに行ってみたかったのだ。

金のない彼は興味を示さなかったのだが日本に置き去りにするのもつまらないので無理矢理連れて行くことにした。

「旅費はぜんぶ私が持ってあげるから。
エルミタージュ美術館行ってみたいでしょう?
今年から復活したピョートル宮殿の噴水も見られるよ。」

初めての婚前旅行だ♪

10年近く前の当時、アエロフロートは燃料不足で国内線がよく墜落していた
だからフィンランド航空で行くつもりだったのだが見積もりを取ると高い・・・すごく高い。
彼の旅費も払ってやると言いきってしまったが二人分は・・・とても払えない。

選択の余地なくアエロフロートになってしまった。
しかも国際線は満席。
予約できたのは青森ーハバロフスク経由の国内線乗り継ぎ。。。

って一番墜落の可能性大のコースである。

「死ぬときは一緒だよね」

とわけのわからない心の準備をする。

燃料切れ墜落事故に対する心の準備にとらわれていたため、アエロフロートに乗る前の基本的な心構えを彼に話しておくことをすっかり忘れていた。

何の予備知識も持っていなかった彼は飛行機に乗り込んだ瞬間凍り付いた。
機内に敷かれている古くてすすけたじゅうたんがねちねちしていた。

「猫を何匹も飼ってる老婦人の部屋のような臭いがする」

今思い出しても名言である。

「さっさと席えらんで座りな!」

と急かすスチュワーデスに追い立てられ席についた彼を待ち受けていたものは。。。


窓際でぶんぶんうなっていた巨大なハエ。


「いやぁ、これはよくあることよ。
ハエがいるんですけど~、って言ったらスチュワーデスが手のひらでバシっとハエを叩きつぶしちゃうんだってさ。ハハハ」

とよく耳にしていたアエロフロートジョークで笑いを誘おうとしたが逆効果だった。
ますます落ち込んでいく彼。

しーんとした気まずい空気が漂う中、飛行機が飛び立った。

「おっ、ちゃんと飛んでるじゃん。やっぱり大きい飛行機はいいねえ。
私が30人乗りのアントノフ機でサハリン行ったときなんてさ、ターボから火吹いてるのが目の前に見えてさ~。おまけに燃料がぽたぽたしたたってるしぃ。もう生きた心地しなかったもん。
あんたの受けたショックなんて、それに比べれば可愛いもんよ~。」

などと言って励まそうとする私は、ますます彼の傷口に塩をぬっていた。


そうこうしているうちに機内食がやって来た。

ビニール袋に入ったものを投げてよこすスチュワーデス。

中に入ってるものはトマトがまるごと一個、きゅうりがまるごと一個。チーズにパン。

ブリティッシュ航空のまずいサンドイッチだってまだましに見えてくる・・・

申し訳なさそうにちらっと横を見ると、彼はもうショック死寸前であった。

切ってあるものが何もないなんて・・・・ぼくはじゃない!!!

落ち着け、どーう、どーう、どーう。落ち着くんだ。
旅はまだ始まったばかり。

やっと陰気くさいハバロフスク空港に着いた。

すでにすっかり打ちのめされている彼。

もういやだ。帰りたい。

あの~、まだ3分の1しか飛んでないんですけど・・・
繊細すぎるよ、君。
                 つづく


著者: 米原 万里
タイトル: ロシアは今日も荒れ模様

忘れられない結婚記念日

ある日の朝、けっこう早い時間に電話がなった。
彼の母親からの国際電話である。

こんな朝っぱらから誰か死んだのかな?

が私の最初の反応だった。

「Congratulations!」

って何を? 何かめでたいことあったっけ?

「on your first wedding anniversary!」

私たちの結婚一周年?

今日・・・・だった?

二人ともコロっと忘れていた。

「今日はどうやってお祝いするの?」

そんなこと言われても・・・これから決めることにするよ。

「Thank you for reminding」

そのあと慌ててレストランを予約。
とりあえず結婚祝いのディナーにでかけることにした。 
ある意味、忘れられない思い出となった。

電話がなかったら二人とも結婚一周年を忘れ過ごしていたところだったから。

夫婦のどちらか(普通夫だろうけど)が結婚記念日を忘れて片方に恨まれるという話はよく聞く。

私たちの場合は一年目から夫婦そろってこうだから、末はまったく安泰である。


著者: ナガオカ ケンメイ
タイトル: ふたりの絵本 結婚。

移動披露宴

結婚式はしないことに決めていた。

彼の家族が母国から参列するわけでもなく、
ほとんど知らない私側の大勢の参列者の前で見せ物になりたくない
という彼の気持ちを尊重することにした。

私は面倒くさいことが嫌いだったので、
ちょうどいい口実ができて良かった
と思っていた。

とはいっても、親戚一同、同僚、友人などへのお披露目は避けられない。
さてどうするか。

手っ取り早く大きな披露宴をひとつするか・・・

「ぜったイヤだ! 見せ物になりたくないよ! 
大きなパーティーは形式張っていていやだよ。
それにぼくの友人はほとんど東京にいるんだよ。」


じゃあ、地元と東京で一つずつに分けるか・・・・

「親戚と同僚と友達が一緒じゃ接点がなさすぎるよ。
誰が誰だかわからないまま終わるような居心地の悪いパーティーはイヤだ!」


じゃあ、家族とは結婚当日に会食を、

同僚とは地元のレストランで祝う会を、

父方の親戚とは地元の旅館で一泊し、

東京では友達を中心にちょっと大きめの披露パーティを、

東京在住の母方の親戚一同とはお食事会を、

あとは入院中の母方の祖母に挨拶に行って、



っていったいいくつまで分ければ気が済むねん?


4つくらいまでこなした時にはゲソゲソである。

おやじギャグは出したくないがホントに疲労パーティーであった。



この国に引っ越して来たら、彼のこっちの家族や友人の前でもう一つお披露目パーティーをするつもりだった。


引っ越してきて8年。


どちらからもパーティーの話は持ち出さずに現在に至っている。



著者: 松山 祐士
タイトル: ブライダル・ピアノ・アルバム―結婚披露パーティーのために

アーティストは素材にこだわる

私はファッションとかスタイルにこだわりはない、ということは前回にも書いた。

形あるのもは全て無に帰するという禅的な思いが心のどこか奥底にあり、それが私のどうしようもない無頓着ぶりに少なからず影響しているのだろう。
(どちらかというと言い訳にしているような気もするが・・)


そんなわけで、一緒に暮らし始めてからというもの、家の中のものは完全に彼のこだわりの支配下に置かれてしまっている。

といっても彼は流行に敏感であるとか洒落たセンスがある、というわけではない。
むしろ重厚というか、ちょっとオリジナルな趣味の持ち主である。

まず、ナチュラル志向である。
合成のまやかしが大嫌いである。
素材にこだわるのだ。

手始めに、私のオフィス用の服が徹底的な弾劾の対象となった。

ぐーたらの私のクローゼットは洗濯した後アイロンをかけなくてもいいポリエステル100%のオフィス用ブラウスのオンパレードだった。

彼にとって化繊100%の服はとても気持ちの悪いものらしい。
(それがウエディングドレスを買う時に躊躇した理由である)

まずリネンはコットン100%でなければいけない。(これが高い)
服もコットンとか麻とか自然のものでなければいけない。

っていったい毎日の会社勤めのために誰がアイロンかけるんだよ?(当然、彼の仕事となった)

家具もちゃんとした木材からできていなければならない。
ベニヤ板とか、合成樹脂の家具は鼻でせせら笑われる。

といっても、大量生産時代の昨今、本当の木製の家具というのはなかなか見当たらないものである。
スタイリッシュな流線型の家具はたいてい合成樹脂である。

私は彼と住み始めるまで木製のテーブルか合成樹脂製のテーブルかの区別などついていなかった。(だってどっちも木目ついてるじゃん)

本物の木製の家具は加工の制約で高いくせに個性もない角張った面白くないデザインが多い。少なくとも私たちの予算でなんとか届くものは。。。

素材も本物で加工も一流で、となると当然貧乏アーティストに手が出るものではない。

貧乏なのに目だけ肥えているという事実は不幸である。

いつまで経っても家具がそろわないのだ。

去年、7年目にしてやっと妥協してベッドを買った。
今年、8年目にしてやっと妥協して洋服タンスを買った。

彼のこだわりも不便には勝てなかったようである。

著者: エルウィン ビライ, Erwin Viray, 古山 正雄タイトル: 素材の美学―表面が動き始めるとき…

安すぎたウエディングドレス

私はあまりファッションに興味があるほうではない。

何に対してもそうだが、どちらかというとモノには機能以上のものは求めないタイプである。

実用一点張り女が美を追求する男と結婚しちゃうのだから世の中わからないものである。

ウエディングドレスに対する私の考えは

せっかくお金出すなら、一生に一度しか着ない、なんてもったいない

であった。

シンプルで仰々しくなくて、後から普通のワンピースとして着れるものが欲しかった。

でも自分でそんなもの探しまわるなんて面倒くさいし・・・



あっ、そうだ! 彼に探させればいいや。どうせ服に文句つけるのは彼の方なんだから。

ということで雪国からの避寒のために私の訪問後も母国に居残って長い正月休みをとっていた彼に頼むことにした。

ねえねえ、そっちで何か適当なドレス探して来てくんない?

さて、しばらくして使命を受けた彼から国際電話がかかってきた。

「君に似合いそうなドレスを見つけたんだけど・・・」

「けど何?」

化繊100%なんだ。。。どうしよう。」

「いいよ、別に」

「で、すごく安いんだけど・・・」

「へー、いいじゃん、いくらで売ってるの?」



「日本円にして5000円弱
(ずべっ、安すぎ)


良くやった。買っておいで。


後日、彼が買ってきたそのドレスを試着するとサイズもちょうどぴったり。
私によく似合っていて二人とも驚いた。

ちなみにサイズなんて彼のだよ、
(彼の国の服のサイズがどうなってるのか知らなかったし)

彼の目の確かさもすごいが、彼の目を見込んだ私もすごいじゃん。
(ってただの怠慢だろ?)

これより安いウエディングドレス買った人、いる?


著者: 坂井 妙子
タイトル: ウエディングドレスはなぜ白いのか

元気なご両親

フィアンセとして彼の国を訪問中、ご両親が近くの国立公園まで日帰りドライブに連れて行ってくれた。
お父上が往復4時間の運転を担当。10年前の当時は68歳。お母上は一才年下。

国立公園にはたくさんのハイキングコースがあって私たちは5キロくらい歩いた。
ところでご両親、健脚である。ぜんぜん疲れる様子を見せない。
運動不足の彼と私はだんだん足が棒になってきて、足の運びも遅くなる。

ハイキングコースがやっと終わって舗装道路に出た。
といっても駐車場までは更に何キロかあるようだ。
げぇ、まだ歩くの~?
と正直な私は多分、思いっきり顔に出していたのであろう。

ここでご両親、こんなちんたら速度にはとてもつき合ってられないとばかりに

「私たち、先に戻って車で迎えに来てあげる。」

とすたすたと足を速めてあっという間に視界から消えてしまったのである。

彼と二人でトロトロと歩きながら
70近くのご両親に気をつかってもらって、これって、どう考えても立場が逆だよね。」
と言っている間にお迎えの車が来た。

10年後の今も彼らは健在である。
特に、今年77歳のお母上は毎週テニスクラブでプレイしている。
10歳以上年下の選手に軽々と勝ってしまうらしい。

私も時々週末に彼女とゴルフを楽しむ。

いつも負ける。
(昨日も負けた。)

彼女の方が古いウッド(本当の木製のやつ)で私(メタルウッド使用)よりも飛ばす。

彼女のように元気な老後を送りたいものだ。


著者: 三浦 敬三
タイトル: 98歳、元気の秘密

ご家族にご対面

お正月休みを利用して初めて相手のご家族に会いに行った。
2日前まで吹雪で飛行機はほとんど全便欠航。
一時は飛び立てないかもと気をもんだが当日までにはなんとか回復した。

はじめて彼の国を訪れる。
空港では一足先に里帰りしていた彼とご両親が迎えに来ていてくれた。

落ちこぼれで甘えん坊の末っ子が日本で釣ってきた婚約者ってどんな子だろう?

なーんて思われてたかどうか知らないが、私、挨拶もままならず、旅の疲れで車に乗り込むとすぐ、くーっと家に着くまで寝てしまった。
ちなみにこの国、やたらとだだっ広いのだ。
短い滞在中、彼はいろいろ観光地に連れて行ってくれたのだがどこに行くにも車で片道2時間以上かかる。
観光しているより助手席で爆睡していた時間の方が長かったような気がする。
「ほらっ、海が見えてきたよ。起きて起きて!」とたまに揺り起こされながら・・・

空港から1時間半ほどして家に着いたので起こされた。
家の壁には彼の学生時代からの油絵がところ狭しとかかっていた。
ふむふむ、子供の絵を捨てられないで飾っておく親の心理は万国共通である。

それから彼のお姉さん家族とお兄さん家族ともご対面。

ちょっと、お兄さん、めちゃめちゃかっこいいじゃありませんか?
ケビン・コスナーばりのいい男。
う~ん、こっちの方が良かったな~。


著者: NoData
タイトル: ケビン コスナー [ポスター]

入管物語

彼にはひとつ心残りがあった。
自分が作品を出品している展示会がビザの失効直後に開催される予定だったのだ。

帰国する前にそれだけは見て帰りたい・・・

彼は入国管理局にダメもとでビザの延長を頼みに行った。
展示会の案内状を添付して二週間の延長を申請した。

余談ではあるが入管というところはとっても融通の利かない役所である。
どれだけ多くの外国人滞在者が入管に苦しめられ恨みを持っていることか。

そう語る私も実はこの道の苦労人であった。

15年くらい前の話になるが、職場でもっとも面倒くさい類のビザ申請手続きをやっていたのだ。
ロシア人(ソ連人)とか中国人の招聘である。

まず身元保証人として招聘状を送るところから始まり、法務省に申請書類を提出し、それがクリアしたら今度は外務省に申請書類を提出し、外務省が現地の日本領事館にゴーサインを出したらやっとビザが出るという2ヶ月コースである。急の呼び寄せなどぜったい出来ないしくみであった。

出席してもらう行事が2日後にせまってるのにビザがでないような切羽詰まった状態の時などは、最後の切り札に賭ける以外なかった。

訛の強烈な田舎者丸出しの課長(しかも北島三郎と大川栄策を足して二で割ったような顔)にはるばる北海道から上京してもらって外務省にお涙ちょうだいの談判に行ってもらうという姑息な手を使っていたのである。

東京のスタッフがどう頼んでもダメな時の奥の手であったがこれがなぜか効くのであった。

さて、そうこうしているうちに彼のもとに四角四面の入管から返事が来た。

「あのですね~。二週間の延長ってのは規則で出来ないんですよ。」


「はあ・・・」(がっくり)




「ですから六ヶ月の延長にしましたから」


ぇっ? ぇぇぇぇええ?」 (まじかよ? ほっぺたをつねる)

融通の利かない入管が神様に思えた出来事であった。

こうして彼のビザが切れる前に日本国内でめでたく結婚し、次の更新時は配偶者ビザを申請できる運びとなったのである。


著者: 入管協会
タイトル: 外国人のための入国・在留・登録手続の手引―和英対訳
この本、彼も持ってました。