INDIGO DREAMING -2ページ目

アマチュア卒業記念日

彼は4月のCD発売記念ライブの何日か前に、あるホテルのパブでライブを行った。
平日の夜だったけど、私も仕事帰りにカメラマン役で付き添った。
本当はタバコの煙が苦手だし、仕事の格好で行くと浮くから
こういう場所はなるべく来たくないんだけど
HPやプロモ用の写真を出来るだけ撮っとかなきゃいけない。

ライブ

ここはけっこう音楽好きな人達が集まる場所として知られてるパブで
有名なバントが下積み時代に出演したりしてる場所。
音響スタッフも腕がいい。

夫が歌い始めたときにはテーブルに10人
カウンターに15人くらい人がいて
ビール片手にがやがやしてた。

ところが不思議なことが起こった。

ギターの美しい音色が響き渡り
パブの中がシーンと静まり返ったのだ。

すごくいい出来だ。
皆が金縛りにあったように聞き入っているのが肌でわかった。
今までこのパブに何度も足を運んでるけどこんなこと初めてだった。

いつもはハラハラして聞いてる私だけど
その日は私も彼の音楽の世界に完全に引き込まれてた。


よくここまで来たね

そう思ったら、じーんとして
あふれた涙で目の前がぼやけた。


演奏が終わってCDを買いにきてくれた聴衆の1人が彼にサインを依頼した。

びっくりした。
初サイン体験。

この調子でCD発売記念ライブも頑張るのだ~!

っと思ったが、当日はいつもの音響スタッフが風邪で
代打の人がPAシステムに慣れてなくてあまり良く聞こえなかったし
彼は彼でギターのカポの位置を変え忘れるというドジをやらかすし

観客を酔わせたあの日のライブの再現はならなかった。

でも、彼は確実に一つ上の段階に移行したのだ。
もう後戻りすることはない。

おめでとう。

 
ブルースギターのしらべ CD付

夢追人

昨日紹介 したCDBabyは、Derekという元ミュージシャンが立ち上げたサイトだ。
痒いところに手が届く良心的なサービスを提供していて、インディー・ミュージシャンから圧倒的な支持を集めている。

で、どんどん事業が大きくなってきたもんだから大きな会社から提携とか売却の誘いとかもよく来るそうだ。
でもミュージシャンの立場がよくわかってるDerekはそんな誘惑には乗らない。
彼はHPのメンバーフォーラム上で宣言した。
「自分の目の届く範囲で満足出来る仕事をしてHappyな人生を送りたいから
事業拡大のために他人の金の言いなりになることはしない!
お金持ちになったってHappyでなくなったら意味がないじゃないか。」

多くのミュージシャン達が彼に賞賛のメッセージを送った。
ある貧乏ミュージシャンが長いコメントを残してた。

そのミュージシャンはある時、大金持ちのパーティー会場に呼ばれて演奏したそうだ。
そこで彼は、その大金持ちがとても良い声の持ち主であることを知って驚いた。
かつて歌手になる夢を持っていたこと、
生活のためにその夢を断念して事業家となったこと、
事業家として成功したが夢を諦めたことをずっと後悔していることを
打ち明けた初老のお金持ちは貧乏ミュージシャンに聞いた。
「君はHappyかい?」
「Yes」
「君が羨ましいよ」
お金持ちは寂しそうに答えた。

その時までお金持ちを羨ましく思っていたそのミュージシャンは悟った。
暮らして行くのがやっとで、
どうしたら楽な生活ができるようになるだろう、
もっと売れるようになりたい、
と思っていたけど
自分は一番大切なものを失ってはいないのだ。
例え貧乏でも好きな音楽を仕事にして生きていける自分はなんて幸せ者なんだと。

この世の中には
自分のやりたいことが見つからない人
自分のやりたいことを貫かずに妥協した人
の方が圧倒的に多いと思う。

私もその中の1人だけど
現実に流されて生きている私たちにとって
諦めずに自分のやりたいことを貫いている人はとても珍しくまた眩しい存在だ。
だからそんな人にたまに会うとサポートしたくなる。
その人に自分が諦めた夢を託したくなるっていう方が正しいかも知れない。
応援してるようで、実は夢のお裾分けをもらっているってことなんだろうな。

夢を追う人は、同時に夢を与える人でもある。

野口 吉昭
「夢とビジョン」を語る技術―「いっしょに仕事がしたい!」と言われる

インディーズ・ムーブメントの波に乗って

ばたばたしてて先月は一回も更新出来なかった。
私の本業、副業、趣味業、夫の本業と副業の手伝いが一気に忙しくなったのだからしょうがない・・・
どうして忙しい時は全てが重なるんだろ。

ぜんぶ書き残せるか疑問だけどまずは夫の副業について・・・

4月に彼はCDデビューした。
ライブもけっこうやったし、地元のコミュニティラジオのインタビューも何件か受けた。

去年のイースター休暇
はのんびりしてたのに、今年は休暇と週末のほとんどを彼の音楽HP作成とSEO対策、メディア・リリース、オンライン販売の手配とかに費やし、全然休まる時間がなかった。

インディペンデント・ミュージシャンのCDばかりを販売しているCDBaby という通販サイトを通して、彼のCDを世界中にオンライン販売出来るようになった。

CDBabyの新着情報に掲載されてすぐに、フランスのラジオ局のDJから「僕のラジオで紹介したいからCDとプロモキットを送ってほしい」というメールが来た。

そんでプロモキットのことなんてもちろん知らなかったから、ネットで探した他のアーティスト達のものを参考に自作してCDと一緒に送った。
もう全てが初めてのことばかりで行き当たりばったり・・・

そしたらその一週間後あたりから次々とフランス、ベルギーのDJ達から同様のCDの催促メールが来ちゃったのだ。
どうやら最初のDJがブルース音楽を専門にしているDJ団体のサイトで他のメンバーに教えたらしい。

ってことで、なんでシャンソンの国で彼のブルース系音楽がうけるのかよくわからないけど
フランスとベルギーで彼の曲がオンエアされ始めた。

インターネットで世界はホントに狭くなったと改めて実感する。

もちろん自分の国でも全国のコミュニティーラジオ100局くらいに某機関を通して今週CDが行き渡ったので、地元以外のあちこちでそろそろオンエアが始まるんじゃないかと期待してる。

日本のラジオ局もどっか取り上げてくれないかな~。
ブルース番組って少なそうだけど・・・

それにしても・・・
CD500枚作ったうちあっという間にプロモーションで120枚くらいなくなっちゃった。
この調子じゃあ、半分以上プロモーションでなくなりそうな予感。
まだまだ先行投資がかかりそうでいったいいつになったら回収出来るのやら・・・。

そんなことやっているうちにCDBabyからお知らせメールが来た。
「CD店舗の卸売販売店SuperDと提携したので、あなたのCDが全世界2400店舗で注文出来るようになります」だって。

CDBabyからは先日、「世界のミュージシャンためにサイトを多言語化しました」というお知らせも来たばかり。日本語ページ もできたので全世界でCDを売りたい日本のインディペンデント・ミュージシャンにもお薦めする。

インターネットと流通革命のおかげでインディペンデント・ミュージシャンには追い風が続いている。
セルフ・プロモーションにかなりのエネルギーを費やさなきゃならないけど、彼は良いタイミングでCDデビューしたもんだな~と思う。

古い体制に染まったメジャー・レーベルの先細りははっきりと見えている。
本当にMC LarsのDownload This Song歌詞 の内容みたいなことが現実に起こってるんだよな~。
CD初版がなくなったら薄利なデジタル配信も考えなきゃ・・・

郷田 健二
誰も教えてくれない「インディーズ」の始め方・儲け方―一人で始められる「CD・レコード会社」


崖っぷち

家の近くには坂を下ったところに海岸があった。

妹や友達とよく遊びに行ったものだ。


ある日、妹と遊んで家路につくときに後方の私が、崖から足を滑らせて下に落ちそうになる。

両手で必死に崖の縁につかまっているのだが、崖はどんどん崩れ落ちてくる。



そのうちもう手がしびれてきて片手だけになる。


下は海。


妹は上から、私の状態を見てパニック状態になり、ただ座り込んでわーんわーんと泣き叫ぶばかり。

こちらが「しっかりしなさい、大丈夫だから。急いで誰か呼んできて」と励まさなければならない始末である。

しかし、内心はそんな余裕はなく

「もう、ダメかな。」

と、思っている。

小学生になってからかなりの頻度で見た夢

裏切りからの逃走

これは小学生の時に見た夢だ。

戦時中の空襲におびえるある日のこと

私達は体育の授業のために全員グラウンドへ集合させられた。

先生達は、空襲のサイレンがいつ鳴るかとびくびくしている私達を整列させ

「右向け右!」などの号令をかけた。

号令を何度も何度も繰り返され、私達はだんだん疲れてきた。

いったい、いつになったら徒競走をはじめるのだろう。

先生達は人が変わったように厳しく、無表情で私達は不安になってくる。

きちんとできなかった何人かの生徒達が前に出るように言われて並ばされる。



そこへ日本兵が車に乗ってやってきた。

どうやら前に出された生徒達は見せしめのために殺されるらしいのである。


どうして先生が私達を・・・?

怒りと悲しみで胸が押しつぶされそうになる。

私はすきを見て逃げることを決意する。

もう誰も信じることは出来ない。

もう誰も信じない。


そして走る。

走る。

フェンスの下をくぐり抜けて道路に出る。

前につんのめりそうになるのを必死にこらえて走る。

憎しみだけをもって。


りぼん・ぷろじぇくと
戦争のつくりかた

線香花火のように

私は花火の中で線香花火が一番好き。
理由は様々な人生の縮図を見ているような気がするから。

今週、朝の通勤電車の中で瞑想していたら
「あっ そうなんだ」ってあることに気がついた。

私は20代後半の時、燃え尽き症候群になり
心身ともにぼろぼろになって
東京での激務生活にピリオドを打った。

またいつか、ほとばしるようなエネルギーが湧いて来て
活発に動きまわる日が来ると信じていた。

でも、あれから10年の月日が経っても完全に元には戻らない。
いうことを聞かない体を、気力で補うことが出来ないのだ。
それがもどかしく、不満でもある。


私の人生は目立たない小さな火花から始まった。

10代後半から20代後半は
火薬のたくさんつまった線香花火の太い部分で
大きな火花を散らしていた。


そう

紅く光る私の火薬玉は分不相応に大きくなって
勢い良く火花を散らしすぎて・・・


ちょっと微風が吹いた瞬間に・・・


大きな火の玉をぼてっと落としてしまったのだ!


どんなにそれを嘆いてみても
地面に落ちた火の玉を元に戻すことは出来ない。

残された火薬の量で人生を全うするしかないわけだ。

人生のキャンバスに
もう大きな火花をスパークさせることはできない。

だけど
ダイナミックさを失った分
危なっかしさもなくなった。

繊細で可憐な「柳」や「散り菊」を描くことはまだ出来る。

無理しなくてもいい。
周りの「松葉」を見てうらやむのではなく
自分の「散り菊」を愛(め)でようではないか。

大槻 ケンヂ
花火

いじめの序曲

小学校の入学式当日

私は赤いブレザーを着せられ、父親が撮る記念写真のためにイヤというほどボーズをとらされた。

両親から祝福された特別の日は一日限りで、翌朝はきれいさっぱり忘れ去られたかのようなそっけなさだった。

母は私に聞いた。

「昨日一緒に歩いた道、ちゃんと覚えてる? 一人で行けるかな?」

幼稚園の時だって一人で家路についていた のだから何をいまさら・・という感じだったが

小学校への道のりは今までの2倍以上、歩いて1時間はあった。

「うん、大丈夫だよ。道は他の子達の後をついていけばわかるし。」

私は答えた。

団地だから、同じ小学校に通う子供達は周りにたくさん見かけられた。

そこへちょうどアパートの別棟に住む新一年生二人が三年生のお姉さんに連れられて通りかかった。

母はすばやくその子達を呼び止めた。

「あなた達、○○小学校に行くの? この子と一緒に行ってくれるかな?」

お姉さんが「いいですよ」と言い

母は「ありがとう、助かるわ。じゃ、お願いね」

と言い残してさっさとアパートの中に姿を消した。

私は無神経な母にかなりムッとした。

私が「一人でも行けるよ、大丈夫だよ」とはっきり答えたばかりなのに

何故、頼んでもいないことを勝手に決めるのか。

まったく余計なお世話というほかなかった。

相手の子達に聞く前にまず私の意向を聞くのが先だろう。


私はその一年生達には良い印象を持っていなかった。

幼稚園では別のクラスでしゃべったこともなかったけれど、

先生が注意しても聞かないでおしゃべりしてたわがままな子達だってことは覚えてた。


自尊心の強い私は母にものすごく腹を立てていたから

その子達の会話には加わらず、ふてくされたまま学校に到着した。

彼女達とは違うクラスだったけど

3年生になったらそのうちの一人と一緒のクラスになった。

同じクラスになってからその子にはいじめ続けられた。

今、振り返ってみるとあの入学式の翌朝が全ての元凶だったのかも知れない。

川合 正
いま、子供たちが変だ―親子の会話を取り戻すために


恵みの雨?

今日は夫が末席を汚すことを許されたある音楽祭へお伴に行って来た。

先週の木曜日に出来上がった販売用のCDも持参♪

CD完成までのこの3年間の長かったことよ・・・

これにあわせてドメイン・ネームを取得してHPも開設。

これからMP3をアップして音楽配信もする予定である。

アーティストの妻じゃなくて秘書業が妙に忙しくなりそうな予感である。



金曜夜から3日間開催された音楽祭の出演料は1時間枠で1万円くらい。

だけど日曜日の午前11時なんて皆がまだ集まりだす前の時間枠もらっちゃったから

観客は私と、ステージ会場となった店のオーナーと、その他1、2人だった。


ガクっ・・・・


だけど信じられないことにそこのオーナーと観客の一人がCDを買ってくれた。

観客2~3人でCD2枚売れるなんてめちゃくちゃ高い確率じゃないかよ・・・


あまり観客がいないのでそこのオーナーがとりあってくれて

2時から別のステージの空き枠をあてがってくれた。


だけど、そこはあまり場所がよくなくて

朝よりはいいけど観客はやっぱり10人くらいしか来なかった。

でも、午前中にCD買ってくれた観客がまた見に来てくれたし

CDもまた2枚売れた。


「2枚くらいでも売れればいいね」と話してたから、観客数を考えれば4枚はまあまあの出来。

その他にラジオのパーソナリティー二人にCDを配ったから彼の音楽が地元のラジオで流れるはずだ。

家には段ボール3箱分のCDが500枚・・・じゃなくて494枚。

今月はCD発売記念ライブを含めて4つのライブがある。

恵みの雨が・・・やっと降るかな?


湯浅 政義
音楽ビジネス 仕組みのすべて―Music Business Bible


酸欠金魚*

この夢 は、今私がおかれている状況と心理状態を表しているように思う。

とるべき道を、あるいはとるべき順序を誤ってしまったと

私の深層心理が後悔しているか警告しているのだろうが、

具体的に何を?

と考えてみても、いったいどの選択を間違ったのか特定出来ないほど

私はあれやこれや収拾がつかないくらい手を広げてしまっている。

このブログにも手が回らなくなりつつある・・・(もうなっているか・・・)

「水を得た魚」という表現があるが、夢の中の金魚達は「水を失った魚」だ。

しかも私が自らの手で「これぞ」と思ってすくい上げた選りすぐりの元気な魚達だったのだ。

金魚の色が「白」であるところが、純粋で新しいものを感じさせる。

金魚は私が活かしたいと願っている能力、挑戦、夢といった可能性を象徴するもので

私の大切な分身であり希望の星であると解釈するのがいいような気がする。

この金魚達を古くて澱んだ池に放置しておいたら

やがて過密になって酸欠死してしまうだろうと思ったからこそ

新しい池に移してやることにしたのに

自分の油断と計画性のなさで逆に金魚を殺しかけている。


水が象徴しているのは




やっぱりお金かな~



時間的余裕とかエネルギーという解釈もできる。


天から恵みの雨が降って新しい池を満たし

金魚が救われることがあるのだろうか?


酸欠金魚

池の金魚がたくさん増えて来たので

新しい池をつくって移すことにした。

今ある池の横に大きな穴を掘った後で

中くらいの大きさの元気な白い金魚を移していった。

金魚

金魚はとても丈夫だから

ちょっとぐらい水からあがっていても大丈夫

そう私は過信している

金魚はぴちぴちと土の上で跳ねている。

ある程度、金魚を移し終えたところで

私は何を思ったか安心して

仕事の手をゆるめてしまった。

本当はすぐに水も移す予定だったのに

はっと気がつくと1~2分経っていて

金魚がぐったりしてきていた。


しまった!!


急いで隣の池から水を汲んでは金魚に水をかける。

金魚はまだ生きてるけど全部は助からないかもしれない。

必死になって水をかける作業を繰り返しているところで

夢が覚めた。

先週の木曜日の夢だが、

ずいぶんと久しぶりに

誰かに分析して欲しいような

暗示的な夢を見たものだ。



柳 美里
魚が見た夢